仕事が日常の感性に侵食してくる。

もうすぐ今の部署に配属されてから一年になる。

正直なところを言うと、多分僕はあまり良い新人ではなかったんだろうと思っている。

 

それを僕は新人らしさという可愛がられ方をしなかったという点から判断している。

 

実際今の職場で僕の心は日々摩耗している。

先輩たちの一挙手一投足に、振り回されている感覚がある。

僕の心は日々の仕事を離れた、空想の世界、人生とは何か、生きるとは何か、働くとは何か、ただそういったことにのみ思考が行ってしまう。

仕事自体はつまらないわけではない、特に目的も、やりたいことも、何も無く就職した割に楽しんでいるとは思う、いや、いつか楽しくなりそうな雰囲気は感じている。

 

それでも私の心は摩耗していくのみだ。

 

今、一人称が、僕と私でぶれた点に仕事を感じた。

 

一人称が変化したことに理由は無い、本当に何もない、探ってみても何もない。

ただ思いつくままに、心に浮かぶままに書いたらこうなっただけだ。

私は仕事中の資料にもたまにこういうことが起こる、つまり言葉なりの定義なりがぶれていることの指摘だ。

 

読み手が混乱をきたす、それは凄く理解できる。だからこそ、今こうやって書いているときに浮かんでくるくらいに日々から意識したいとも思っている。

 

だが、しかし。

 

だがしかしだ。

 

こうやって言葉の使い方がぶれてしまったことに対して、私の人生に信念が無いという論調に持っていく必要はないと思わないか。最近特に言われることの一つに「お前には信念が無い」というものがある。

 

この言葉に私は振り回される。

 

仕事の内容への指導は分かる、しかし、私の人生に対して指導しなくても良いではないか。

勿論、私にだって信念はある、言葉に出来ないし、見つけられていないかもしれないが、確かに、どこかにある。それを信じたい。

 

しかし、それを私の仕事内容を根拠に否定されては、私は一体どうすれば良いのか。

 

仕事内容のミスを飲み込むときに、私は一緒に自分の信念のなさという人生の否定までを一緒に飲み込まされてしまう。

 

そんな日々に、毎日消耗してしまう。