A-に上がれた話

「最近スプラトゥーンを買ったんだ。」

スプラトゥーン?

「そう、WiiUのソフト。WiiUも一緒に買った。多分三万円くらいだった気がする」

それはまた、何でまた

「何でだろうね、一つは働いていることに意味を与えたかったからかな。口座に積もっていく現金が自分を不幸にする原因のような気がして、少しでもそれを減らしたかったのかもしれない」

そもそもあまり幸せになれない発想だね。

「確かにそうだね。でもゲーム自体は非常に面白かったから買って良かったかなとは思っているよ。」

どの辺が面白かったの?

「そうだね・・・。具体的なゲームの内容については多くは語らないけど、こういうチーム対チームに別れて戦うゲームっていうのは初めてだったからかな。過去やったことのあるゲームは個人の1vs1やバトルロワイアルなものが多くてね。」

人と協力することが面白かった?

「協力の楽しさ、美しさも一つだけど、それに伴う自分の技量への評価の考え方が面白かったね。」

また大して難しくないことを難しそうに表現しようとするんだね。

「まぁ癖だね。頑張って表現したいんだけど、能力がないのかな。それは置いといて、スプラトゥーンはゲーム内の自分の戦績に応じて、レーティングのようなものが付けられるんだ。それはS+~C-で表現される。その中で、僕は今日やっとA-まで上がれたところなんだ。やっとと表現したのはB+で結構停滞していたから。この停滞というのは具体的に何日というよりは、何度やっても駄目だったな、という感覚的なものだと思ってほしい。」

A-がどのくらいなのかも、また停滞というのもよくわからないけど、その話は協力ゲームであることと何か関係あるの?

「停滞したということはゲームをする上で自分の至らない技量というのがうすぼんやりと見えてくるはずなんだけど、それが最初まったく見えなかったんだよね。その原因が協力ゲームだったからだなと思ったんだ。」

協力ゲームだと何で自分の壁が見えなくなるの。

「人間って不思議なもので、1vs1のゲームだと負けた時に相手の圧倒的な技量や自分の至らなさを振り返ることが出来るのに、チーム戦になった途端に負けた原因を全て"自分の味方の至らなさ"に還元してしまうんだね。」

糞な味方のせいで負けた!ってことね。

「そうそう、実際そうなってしまうのはゲームの自分の介入度が1vs1の時より下がっているのは間違いなくて、その触れない領域に理由を付けるとしたらそこしか無いように見えてしまうんだろうね。」

要するに人のせいにしちゃうから自分の欠点が覆い隠されるのね。

「B+の壁ってのはまさにそこで、結局他人の尻を拭く感覚というものに慣れていなかったんだね。自分の分は自分で何とかせいってスタンスだと結局限界で皆が皆他人の尻を拭くように意識したらまぁ何とか少し上達した気がする、自分の腕前自体は上がらなくてもチームの勝率はあげられるというのが今回の発見だったね。」

 

どうしてこうなったのか

何故こうも辛いのか。

 

最近自分の性格や人生についての迷い・悩みが頭を駆け巡る。

そして、きっとそれらは本当はマネジメント可能で、本来的には乗り越えることが可能なものなのだろう。なのだろう。そのくらいの思いはあるが、実際にそれを乗り越えることが出来る気がしない。自分は自分を信用しているし、まったく信頼していない。

生来備わった能力に関しては割と信頼している、おそらく単純なパラメータだけ見るとスペック高そうに見えるのだろう。しかし、人間としてのステータス(本当にそんなものがあるのか分からないが)、計画を守る・気を遣う、その他諸々の自分や他者を律する能力に対しては一切信頼していない。

先にあげたマネジメント可能であるはずのものに対してすら、きっと無理なのだろうというのは後者の能力に対してまったく信頼を持っていないからだろう。

 

前者の能力があるために肥大していく承認欲求、それと相反するように認められない自分。勝手に苦しんでいるのはきっと自分だけなんだろう。どうしてこうなったのか。

どこが間違っていたのか。

シルバーウィークは色々な人に誘われ、何だかんだ充実していたような気がする。

ただそれでもまったく満たされない自分がいる。

もう僕は欠けた茶碗に水を注ぎ続けているだけなのだろうか、一生満たされず、ただただ漏れていくだけの何かに必死に水を注ぎ続けているのか。

そんな人生にいつからなってしまったのか。

思い出せない、本当に思い出せない。

ジャックポットのようにぐるぐる回った末にはまってしまったのか。

これが人生の大当たりなのだろうか。もうやめてくれ。

家で感じる、そして嗚咽

久々に実家に戻った。

去年から新卒として会社で働き始め、それに伴い会社の寮に入寮した。

つまり、そのタイミングで実家を出た。

親兄弟とは仲がよかったほうだと思っているが、自分が割と放浪癖があったので、あまり家に戻らないことがもともとあった。

それもあり、入社後は大体半年に一回くらい戻る程度だった。

 

今回は自分が家を出るときに整理しきれなかったものの整理をして欲しいと、つまり20年分の垢を落としてほしいと妹に言われたのが契機だった。

 

掃除自体はまぁ自分のやれる範囲内のことを整理し、捨て、ありとあらゆるものが今の自分には不要で無価値で、でも昔の自分には大切なものであったんだろうなと感じながらゴミ袋に入れ、ひもで縛り、ゴミ捨て場に置いた。

 

それの繰り返しで、手元には本当にほとんど何も残さなかった。

もう自分にはいらないものにしか思えなかったから、20年間が本当に自分に何も残さなかったのか、思い出すら大事にしないのかと自分の心を笑ったりした。

 

辛い、辛い辛い、辛い。明日も仕事だ。

何故か掃除中に突然その思いが襲い掛かってきた。

 

それは親の顔を見たからか、自分の過去がきれいさっぱり捨てられたからか。

自分に残っているのは本当に明日からの日々だけなのだということを強く意識させられた反動か。

 

食事中に気分が悪くなり、食事もそこそこに先に帰らせてもらうことにした。

 

親はかなり心配そうだった。

 

それだけは少し気がかりだった。

新しいものたち

部署に新人がやってきた。

これは凄くうれしいことだ、二年目の自分には初めての後輩ということになる。

 

昔から先輩と仲は良くならないが、後輩とは仲良くなりやすかった。

先輩と仲がいい、後輩と仲がいい、人によって色々あると思うが、

自分の予想では基本的に家族構成、兄弟構成によるものが大きいと思っている。

弟がいるなら、後輩が得意、末っ子なら年上との付き合いが特に。

とても普通の簡単な考え方だ、自分には弟と妹がいるあたりもこの辺の感覚に拍車をかける。

 

ただ、周囲の印象としては自分は周りに気を付かない、自分本位な一人っ子という印象らしい。

もう最近は周囲の自分の評価はあまり気にしないことにしている。気にすると、僕は本当にどうしようもないくず、で周りに迷惑をかけるだけの存在であるということを直接的に間接的に少しずつ自覚させられていくだけの泥沼だ。

 

話が逸れた、いつも思いのままだ。そう後輩が来るんだ。

僕は後輩にやさしくしてあげたい、ここまで苦しんでいる僕と同じものを歩ませたくない。

そして少し予想している、きっと彼らは別に僕が何をしても、しなくても同じような運命は辿らない。普通に生きていける。何故僕はこんなに苦しんでいるのか、誰がおとしいれたのか、一人で飛び込んだのか、何もわからない。

僕はただ彼らに自分の辛さを訴えて、救ってくれと言うみじめな存在ということを気づかれないように頑張るだけで終わってしまいそうだ。

それは凄く悲しい、でもそうなってしまうんだろう。

 

そんな予感がする。

一番古い記憶

日記を書きたいと思っても何も思いつかないことはよくある。

心の中にもやもやとしたものは本当に手を動かさないと出てこない。

そのトリガーとしてはてなの提供してくれるお題と言うのはいいものだなと思った。

 

世界には色々なものがあり、色々な考えがあり、色々な楽しみがある。

そのすべては構造として同じ形を取っているような気がする。

サッカーも野球もアニメも将棋も通ずる考えと言うのがどこかにあるようなそんな気がしている。

表現の仕方は自由で、一つの思いというものが芯としてあるような感覚だ。

 

だから心の中に横たわるもやもやはお題という表層で覆うことで出せるのではないか、

はてなのお題を便利だなと思ったのはそういう理由だ。

 

自分はおそらく記憶力が非常に弱い。

人の名前も覚えられないし、過去の思い出とか記憶というものもあまりない。

そういった中で一番古い記憶にさかのぼる。

 

昔マンションに住んでいたとき、小学校の頃よく同じマンションの子どもと遊んでいた。

それは鬼ごっこだったり、徒競走だったり、ドロケイだったりあまりしっかり定まっていないが、何にせよよく体を動かしていた。

そんな中で、何があったかも覚えていない、どうしてそうなったのかも覚えていない。

ただ人に向かって「ばか!」と大きな声で叫んだことを覚えている。

 

これは凄く強い記憶で、何故ここまで自分の中に残っているのか分からない。

それほど嫌なことがあった記憶はない。

ただ、自分が人に向かって馬鹿!と敵意をむき出しにした発言をしたその事実。

それだけが自分に強く残っている。

 

後にも先にも人に向かって敵意をむき出しにして叫んだ記憶はない。

 

あの日、自分に何があったのか、それは古い記憶にまみれもう残っていない。

 

嫌われ者の世界

記録を残そうと思った。

 

僕も殴られているだけでは駄目だ、懐にナイフを抱えるべきだと思った。

 

職場に新人がやってくる。去年まで新入りで、これからも新入りを抜け出すことが無いであろう僕はその歓迎会の幹事をやることになった。

幹事とかとりまとめとか、苦手でどうにも行動が遅いが、

ひとまず、店を予約することに成功し、全体に対して時間と場所を連絡することにした。

嫌われ者の僕は日々気を使えないという言葉を恐れていて、メールを一通送ることは目をつぶり顔を差し出し、10秒間待ち、殴られるか、殴られないかを恐れながら薄目をあけるようなそんな作業の一つだった。

僕は少しでも殴られないように、気を使えないと言われないように、意識はしていた。

場所がいつもより少し遠い駅の反対側であること、集合時間がいつもより少し早いこと、ここに気を使うべきと考え、「場所が駅の反対側のため、いつもより少し遠いです、遅刻しないようお気を付けください」こう添えた。

そして送信ボタンを押す。

わずか数分後、隣の先輩と右斜め前の先輩が僕のメールを見ながら、ホント駄目なんだよなぁ、とため息をつきながら僕の方を見る。

僕は知っている、これはきっと彼らの期待する気を使えるラインに到達しなかった場合のサイン。きっと僕はこれから捧げたほほを殴られるのだろう。

「遠いって具体的にどんくらいかかるんだよ。これってどんくらいかかるかは結局自分で調べろってことか?お前の独り言はいらねぇんだよ」

僕の言葉はいつもと同じだ「すみません、気が回りませんでした」

「そういうとこが駄目なんだよな」

「はい」

今日も僕は至らず、明日は休みだ。

抜け出せない思いつくままのにっき

日記を書きたくなるのはいつも辛いとき。

 

今日は何故辛いのか、それは良く分からない。

 

でも辛いときはいつだって心の中に何か存在する、日記を書くのはそういうときに便利だ。

心は体系的ではない思いつくままに手を動かす。こういうときにタッチタイピング、ブラインドタッチ、名前はわからないけど画面を見ながら手を動かせるのは非常に便利だ。心と体と文字に連続性が生まれる。これは昔ネットゲームにはまっていたころに身に着いた能力で今の仕事にも少し役に立っている、本当に少し。役に立っている。

仕事とは何だろう、就活の頃から分からなかった。僕は就活に苦労した、やりたいこともなく、そもそも働きたいわけでもなく、お金もそんなに必要としておらず。

結局欲しいものもやりたいこともなかった。僕は多分褒められたかっただけだ、それはきっとどんなことでもよく、ただただ貪欲だった。

今の辛さもきっとそんなところだろう、褒められる機会が少なすぎる。自分に価値が存在しないような気がする、彼女が欲しいと思うことはあるきっとそれもそこが原因なのだろう、そんな自分のための道具やアクセサリーとして彼女を欲しがっている自分にはきっと彼女が出来ないのだろう、この二つのぐるぐるの袋小路から僕は抜け出せずにいる。